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The Game Changer

試合の流れを一気に変える人--ゲームチェンジャー。物事の流れを根底から覆し、人々の暮らしや社会、企業活動などに変革をもたらす……。
歴史のダイナミズムとは、そのようなゲームチェンジャーたちによる挑戦の結果によるものかもしれません。
現代社会を揺り動かすゲームチェンジャーとはどのような人たちなのか。
変革をもたらす視点、独自の手法、ゴール設定、モチベーションをいかに維持するか等々、変革に挑戦した者だけが語ることができる物語を紹介します。

2019年4月23日

第11回
空手家 清水希容氏

全日本空手道選手権「女子形」で6連覇
“プレッシャーを力” に変え、2020年のメダルを目指す

日本発祥の空手が2020年東京オリンピックの正式種目に選ばれた。そのなかで金メダル獲得の最有力と注目されているのが空手種目の「女子形」の清水希容選手だ。小学校3年生のときに糸東流空手道場に通い始め、ずっと空手に打ち込んできた。2018年12月には全日本空手道選手権大会で6連覇を達成。他の選手を寄せ付けない強さだ。「負けず嫌い」と言い、「プレッシャーを力に変えていく」と、東京オリンピックに照準を定めて練習に励んでいる。

小学校から大学まで“空手漬け”の日々

――空手を始めたのは小学校3年生のときですね。

清水 兄が小学校1年生のときから空手を習っていました。ある年に引っ越しをしたのですが、そのときに道場が変わったので、小3だった私も見学について行ったのです。道場の練習風景を見て、「私も入門したい」と両親に頼んだのが最初です。そのときは、両親は反対ではないものの、「続けられるの?」という感じでした。小学生の頃は道場に通って、形を練習するのが好きでした。教えてもらった形を覚えて、その通りにできれば嬉しかったですね。小学生の全国大会があることも知らず、大会に出たことはありませんでした。
 とにかく体を動かすのが好きでした。中学生時代は、学校から帰ってすぐに道場という毎日。空手があるので部活には入らず、学校から帰って道場に行く毎日でした。空手以外に何かをするという時間もなくて……、というより、時間があれば空手に打ち込みたかったので、ずっと空手漬けでした。
 全国大会を意識するようになったのは、中学生になってからです。中学生の学年別の全国大会に出たときに、初めて全国にライバルがいるということを知り、勝ち負けにこだわるようになりました。負けず嫌いなので(笑)。成績が伸びないときや、思うようにいかないときはくじけそうになりましたが、やめようとは思いませんでした。初めての全国大会は3位でしたが、上位に入った嬉しさよりも、「同じ学年なのに、なぜみんなこんなにうまいのか」との思いが強かったですね。優勝できなくて悔しかったのです。そして、「今まで全国レベルに出るような選手や、その技量を知らなかった」という悔しさから、とにかく頑張って負けたくないと思うようになりました。

――それで高校は空手の強豪校を選んだのですね。

清水 強豪校として知られていた東大阪大学敬愛高校には道場の先輩も進学していたので、私もそこに行こうと思っていました。このとき、母から、「全国優勝できる自信はあるの? 名門校の名前に傷をつけるようなことがあれば、すぐに空手をやめなさい」と言われ、厳しい練習についていく覚悟ができました。「中途半端には空手に取り組むな」と活を入れてくれたのでしょう。
 中学のときは、最後まで全国大会3位の壁を越えられず、高校に入ってからもなかなか勝てませんでした。高校2年生のインターハイでも3位と奮わず、しかも高校としても全国連覇を逃す、という結果となってしまいました。そのときの悔しさを忘れず、「1年後には絶対勝つ」と奮起して、3年生のときに高校最後のインターハイで優勝することができました。この大会では、「勝てなかったら空手はやめる」と自分にプレッシャーをかけ、両親にも優勝すると宣言して、もし負ければ高校も中退するくらいの勢いでした。今振り返ると、自分にプレッシャーかけて、とにかく競技に打ち込んだ高校時代は、すべてを空手のために捧げた時代でしたね。精神面でも体力面でも鍛えられたと思います。高校では、礼儀作法や上下関係も叩き込まれます。しかも文武両道でなければだめで、落第点を取ると練習をさせてもらえません。そういう環境だったことも、自分自身の成長に役立ちました。

――進学した関西大学でも空手を続けることになります。

清水 本当は高校で空手はいったん終わりにするつもりでした。高校を卒業したら就職しようと考えていたのです。でも、インターハイで優勝して自信がついたし、ジュニアの大会だけではなくシニアの大会でも上を目指したいという欲も出てきました。「もし成績が落ちるようなことがあれば、その時点で大学はやめる」と母と約束して、大学でも続けることにしました。母からは、「もし遊びに行きたいなどと思うくらいなら、きっぱりやめて就職しなさい」と言われていましたが、もともと空手を続けるための大学進学だったので、成績が落ちるようならば自らやめる覚悟はしていました。とにかく「だめならやめる」と、背水の陣を敷いていたのかもしれませんね。
 とにかく空手を続けたい一心だったので、大学に入っても空手漬け。講義の合間に空きスペースで形の練習をしたり、講義もできるだけ間を空けずに受講するようにして、空手に打ち込める時間を作ったり、お昼の食事時間も削ってとにかく練習時間を稼ぎ出していました。大学1年生のときに大会に出て、有名な先輩や強い先輩、世界レベルの先輩と戦えるチャンスがたくさんありました。そうした先輩たちにどのくらい自分が伍していけるのか、競えるのかというチャレンジ精神で試合に臨んでいました。

ライバルに追われるプレッシャーをプラスの力に変える

――全日本空手道選手権では6連覇中です。最初に優勝したときと6連覇を続けるなかとで、意識の変化はありましたか。

清水 最初に全日本のタイトルを取ったのが大学2年生のとき。勝つ自信はありませんでした。でも、「ここで負けてしまっては、翌年の世界選手権の選考に影響するだろう」と必死でした。最大のライバルが大学の先輩で、練習する道場も練習環境も一緒だったので、内心意識もしていましたし、「絶対に負けない!」という競争心も強かった。そういう年だったので、最初の全日本のタイトルは、これまで6回優勝したなかでも一番印象に残っています。
 また、最もプレッシャーを感じたのが3連覇のときです。連覇を重ねるたびに怖さも出てきて、「負けたくない」という思いが強くなりました。特に世界選手権直後にある全日本は、世界大会に照準を合わせてコンディションを高めていった後なので、体力面でも精神面でも世界大会に合わせたピークから下がり始める時期なのです。全日本に向けてもう一度上げる、というのがけっこう大変で。空手は日本発祥の武道ですから、全日本選手権は強豪ぞろいでレベルが高い。もちろん中途半端に臨むことはできないし、世界選手権で優勝した後に全日本で負けるということはあってはならないこと。そういうプレッシャーを感じたこともありました。4連覇以降は、試合を前にしたプレッシャーにも慣れ、心身共にパフォーマンスを高めていくことを覚えて、その年の最後の大会なので集大成をどう出すかということに目を向けられるようになりました。プレッシャーはありますが、そればかりを意識することもなくなりました。全日本の舞台は日本武道館なので気が引き締まるし、雰囲気も好きです。

――全日本だけでなく国際試合でも活躍されていますね。

清水 全日本で勝ったことで、日本代表としての重みが加わります。それまでは追いかける立場でしたが、今度は追われる立場になりますし、国際大会では日の丸を背負って臨むことになります。大学1年生のときに、宇佐美里香さんが初めて世界空手道選手権大会で優勝したときの映像を見て、「世界大会ってすごいな」と鳥肌が立ちました。そして「世界大会に自分も出てみたい、挑戦したい」という思いが強くなり、大学2年生のときから世界選手権を目指して練習に取り組みました。それも全日本選手権優勝の原動力になりました。その頃、道場の先輩で大学の先輩でもあるライバル選手と競って代表争いをしました。そして大学3年生のときに私が勝って、世界大会の日本代表に選ばれ、2014年大会と2016年大会※の2連覇を達成することができました。
 世界空手道選手権大会の「女子形」では、日本代表は1人しか出られません。その名の通りの日本代表です。もちろんプレッシャーも大きい。代表の座を競ってきた選手たちの悔しさや思いも背負って舞台に立つ覚悟が必要です。ですから絶対に負けられないという思いが強くなりますね。世界大会で初めて優勝して、今度は世界中のライバルが私に勝つことを目指してくる、そうなったらやっぱり環境も立場も変わってくる。私がいつも自分を戒めているのは、“その大会で勝っても、表彰台から降りたらライバルと同じゼロスタートになる”ということです。世界のライバルのターゲットになって、そのプレッシャーで苦しんだときもあったけれど、いろいろな経験をすることで、プレッシャーを応援や期待だと思えるようになり、プラスの力に変えることができるようになってきたと思います。
※世界大会は2年ごとに開催

東京オリンピックでは「金メダルをとる」と決めています

――重圧を力に変えるという点で、これまで支えになった言葉はありますか。

清水 高校時代の恩師が言っていた、「神様は試練を乗り越えられる人にしか試練を与えない」という言葉が今も支えになっています。高校時代、なかなか勝てなかったときでも、「清水は試練を乗り越えられるから神様が試練を与えている。だからここで逃げては中途半端になるし、絶対に上には勝てないよ」と励ましてくれたことが忘れられません。トップに立つ人は、すべてをかけて、すべてを空手に費やして、たくさんのことをガマンして頑張った人だけがそこに立てると教えられてきました。それを支えにしてきたことが今につながっていて、これからも自分が努力すればかなうと信じています。
 それと、いつも“崖っぷち”に自分を追い込んでいます。高校でも大学でも、「勝てなければやめる」と心に決めてきたのを、母が見守ってくれていました。常に厳しい反面、愛情を持って育ててくれたと感謝しています。母とは何度も「勝てなければやめる」と約束しましたが、今では試合前の食事は栄養士さんの意見を聞いて、母が用意してくれますし、様々な配慮を含めて応援してくれる、ありがたい存在ですね。

――東京オリンピックで空手が正式種目に選ばれました。2020年に向けて抱負は。

清水 大学でも空手を続けて、全日本選手権の連覇や世界選手権の2連覇、そのほかにも様々な大会で勝って、シニアに入ってすごく濃密な時間を過ごせたと思います。そしてさらに上を目指すという意識も高まってきました。世界大会で金メダルはとりましたが、2020年には東京オリンピックが開催され、空手が正式種目に選定されたので、再び世界トップに立てるチャンスが巡ってきたと力が湧いてきました。2018年の世界選手権で3連覇を逃したとき、決勝で私が負けた相手は開催地スペインの選手。東京オリンピックでは相手がアウェー感を味わうことになると思います。東京オリンピックの空手の舞台は、全日本選手権でも勝ち続けている日本武道館。“絶対に金メダルをとる”と決めています。

プロフィール
清水 希容(しみず・きよう)氏
空手家

1993年12月大阪府生まれ。2012年東大阪大学敬愛高校卒業、2016年関西大学文学部卒業、同年株式会社ミキハウス入社。大学2年生の2013年第41回全日本空手道選手権大会での「女子形」最年少優勝以来、2018年まで同大会6連覇中。2014年第22回世界空手道選手権大会で金メダル。2016年第23回同大会2連覇。そのほかにも2015年第13回アジアシニア空手道選手権大会金メダル、2018年第18回アジア競技大会金メダルなど国内外で好成績を残す。

協力:森永ウイダートレーニングラボ
撮影:清水タケシ
監修:株式会社日経BPコンサルティング
記事中の意見・見解はNECフィールディング株式会社のそれとは必ずしも合致するものではありません。

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