2018年12月22日
第7回
フリークライマー
野口啓代さん
ワールドカップでの優勝でプロの道へ
2020年東京オリンピックに照準
2020年の東京オリンピックで、五輪追加種目にスポーツクライミングが採用された。これは「リード」、「ボルダリング」、「スピード」の3つの種目からなる。いずれも人工の壁に取り付けられたホールドと呼ばれる部分に両手両足、体全体を使い登っていく競技。体力だけでなく、どのホールドをつかむのか、どのルートで登っていくかなど、緻密なプランと瞬間的な判断力が求められる、“頭も使う”スポーツだ。もともとは岩場を特別な装備なしで登るフリークライムを、競技として整備したのがスポーツクライミング。1980年代から欧米で人気が高まり、1991年に第1回世界選手権が開かれた比較的新しいスポーツだ。日本国内の競技人口は、公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)の発表では、2017年現在、競技者・愛好者を合わせて推定60万人。そのスポーツクライミングで2020年を控えて日本女子の中心選手として期待がかかるのが野口啓代さん。「2020年がターゲット」と東京オリンピックでの表彰台に照準を定めてトレーニングに励んでいる。
(c) ONE bouldering
きっかけはゲームセンターの壁登り
――近年、趣味でフリークライミングを始める人が増えています。野口さんが最初にフリークライミングに触れたのはグアム島のゲームセンターだったとか。
野口 小学校5年生の夏に家族旅行でグアムに行った時に、たまたま入ったゲームセンターにフリークライミングの壁があったんです。木の形をした壁で、ロープを伝ってその壁を登っていくものでした。その時、生まれて初めてフリークライミングというものを経験しました。本当に偶然だったのですが、フリークライミングは楽しいと感じました。
その後、都内のジムに連れて行ってもらって楽しんでいましたが、つくば市にフリークライミングのジムができたので、週1回、父と一緒に通うようになりました。父もフリークライミングが楽しいと感じたようです。でもその頃は、今のようにフリークライミングばっかり、というわけではありませんでした。
――小さい頃からスポーツは得意だったのですか。
野口 実家が牧場を経営していたので、牛の背中に乗ったり、木登りをしたりと、高いところは好きでしたね。それがフリークライミングを好きになる背景だったのかもしれません。
つくばのジムには週1回通う程度でしたが、小学6年生の時に出た日本ユースの大会で優勝してしまいました。でもその時は、もっと練習しようとか思うことはなかったのです。あくまでも父にジムに連れて行ってもらって、フリークライミングを楽しむことだけ考えていましたから。
中学では陸上部で、100m走と走り幅跳びに取り組んでいました。大会が多くて忙しかったですね。陸上競技を選んだのは、球技がからっきしダメだったことと、団体競技だとチームのみんなに迷惑をかけることがあるかもしれない、と考えたから。道具を使うスポーツは向いてなかったですね。フリークライミングは身体ひとつあればいいので、私向きなのでしょうね。
大会に出れば、自分が思っている以上にパフォーマンスを発揮できて上位入賞することもあって、それが嬉しくて、フリークライミングをやめようとは思うこともなく、がんばってこられたのかな、とは思います。
世界選手権3位でプロの道を決意
――いつプロになろうと決めたのですか。
野口 日本代表としてワールドカップに出るようになり、そうした舞台では、日本代表として予選落ちはできないなとか、ビリじゃかっこ悪いなという感覚はありました。海外の選手と競い合うようになり、もっと練習したらもっと上を目指せるのではないかと考えるようになり、トレーニングに打ち込むようになりました。
実は、そんなときでもプロのフリークライマーになろうとは思わなかったんです。周囲を見ると、プロとして生活している人はほとんどいませんでした。世界一になったといっても、それで食べていけるような環境ではなかったんです。
ターニングポイントは、高校1年の時に初めて出場した世界選手権で3位になったことですね。上位に入ったことで、その後のトレーニングの回数や力の入れ方が変わりました。
それでもまだ、自分の進路を決めるときは迷いました。大学に行かずにプロになるか、それとも大学進学して競技を続けていくか。父はプロになってもやっていけると考えていましたが、母はともかく大学に入ってから考えればいいと言っていました。大学に行かずにプロでやっていける保証はまったくなかったし、プロになって急成長するだけの潜在能力があるかどうかも自信がなかったので悩みました。
それで大学に入りましたが、思いはフリークライミング一本でやっていきたいというところにあったんでしょう。大学1年の時に、ボルダリング・ワールドカップ・フランス大会で優勝できたのです。それまでずっと2位ばかりで、次こそは優勝と気合も入っていたので、それがうまく結果につながったのだと思います。
優勝して確信しました。「自分が進むべきはこっちの道だ」と。それで帰国してすぐに退学届けを出しました。
――プロになって自分自身に変化はありましたか。
野口 ワールドカップで優勝してプロになる決心がつきました。それまでは、日本代表として予選落ちはできないなどと考えていましたが、プロになれば常に上位をキープしなければなりません。スポンサーがつけば、そのスポンサーのためにも上位の成績でいなければならない。自分のクライミングに対する責任感が強くなりました。
それまで遠征費は両親がサポートしてくれていました。プロになって上位入賞すれば賞金がもらえるようになるので、そこから遠征費などをまかなうことになります。もっとも、この世界で競技生活を続けていくのはたいへんです。海外遠征する選手の多くはアルバイトで資金をためて試合に出場しています。ワールドカップなどで優勝しても、賞金は3000~4000ユーロほど(日本円で約40~50万円)。賞金だけで転戦の費用やトレーニングに必要な資金、生活費をまかなっていくことは難しいですね。
それでも、自分が一番楽しいことをして稼げるというのは恵まれていると思います。ストレスもまったくないんです(笑)。プロになる前は、国内で常に上位にいてもメディアに取り上げられることもありませんでしたし。それがプロになって少しずつ周りからも評価されるようになって、認められていったのが嬉しいですね。
トレーニングの毎日。オフには岩場を登ることも
――野口さんの1日はどのように過ごしているのでしょうか。
野口 日本にいるときは、シーズン中ならば午前中に体のコンディションを整えて、午後からクライミングジムで夜までトレーニング。家に帰ってご飯食べてストレッチして寝るだけという1日ですね。食事は、お肉をたくさん食べることもありますし、甘いものもとくに制限していません。ダイエットもしていないですね。体重が落ちると疲労しやすくなりパフォーマンスを発揮できないので、食事はきちんととります。
遠征中は、ジムに行ってトレーニングという回数は減ります。とくに大会前日は壁を登りません。移動してホテルに入って大会期間中の食事の買い出しに行って、あとはホテルの部屋でストレッチしたり、ちょっと走って時差ボケを修正したりといったことに時間を充てます。
移動中の機内でもストレッチをします。さすがに走ることはできませんので、歩き回ったりですね(笑)。日本代表のユニフォームを着ているので、競技種目はわからなくても、「日本代表選手なんだな」と許してもらっている……と思っています。
――大会日程が進むにつれて疲れもたまります。ツライな、と思う時はありませんか。
野口 日本に戻ってきて、疲れが残っていたり時差ボケがなおらない中で、次の遠征に向けて準備したりトレーニングしたりしているときは、ツライと思うこともあります。自分が期待するように体が動かなかったり、結果が出なかったりしたときなどは、どうしようかと迷いが頭をもたげてくるのも仕方ないことです。ただ、登ること自体が好きなので、疲れていてもストレスを感じることはないんです。オフの時でも登りたいと思うし、簡単な課題でも登りたいと思う性格なんです。オフの時はシーズンに向けて身体作りと筋力アップを加えたトレーニングのほか、息抜きとして自然の岩場にも登りに行きます。
ボルダリングの大会では1つの課題を登る制限時間が4分間と決まっていて、ものすごく神経を集中させるんです。もし、クライミングやっていなかったらここまで集中することってあるかな、と思うくらい。その4分間は普段の生活で過ごすものより長く感じるんです。集中力が求められるので日ごろから訓練をしておかないと集中の仕方を忘れてしまうかもしれないですね。
オフに自然の岩場に行っても、息抜きと同時に、集中してルートを考えていますね。街を歩いていて、あのビルならこのルートで登れるな、なんて考えたりもしますよ(笑)。
「続けることで成長できた」
――2020年の東京オリンピックで、スポーツクライミングが追加種目になりました。また、最近ではフリークライミングを楽しむ人も増えていますね。
野口 2020年に照準を合わせていきます。オリンピックでは、「リード」、「ボルダリング」に加えて、登る速さを競う「スピード」の3種目混合で争われます。今はスピードにも取り組んでいるところです。
スピードは15mの壁を登る速さを競う競技。ボルダリングと違う体力や要素が求められる競技です。クライミングというより“垂直の陸上競技”といった感じ。世界トップクラスの選手は、男子で5秒台、女子で7秒台。15mはビルでいえば4-5階の高さに相当します。階段を走って上がるより断然早いスピードで壁を登るんです。陸上のトレーニングも取り入れて、下半身の強さと瞬発力を高めていかなければなりません。
また、3種目を1日でこなすのは大変な体力勝負です。スピードは始めたばかりですが、トレーニングを重ねて体力をつけ、3種目をバランスよく向上させていくことに集中しています。
トレーニングはクライミングジムでやることが多いのですが、昼間は小さいお子さんを連れたお母さんが多いですね。3~4歳くらいの子どもにフリークライミングを習わせています。身体を使うし、ルートを考えるので頭も使う、集中力も養えるので、子どもには楽しいのでしょう。続けていくことで、自分で考えてチャレンジするということが身につきます。失敗しても楽しいし、登り切ればまた新たなチャレンジをしたくなるものです。実際に私がそうでしたから。
夜はサラリーマンやOLの方も多いですね。必要な道具はシューズくらいで、1人で楽しめるのも人気の理由かもしれません。登っているときは集中しているので他のことを考える余裕はないし、難しい課題をクリアして登ることができれば、きっと仕事のストレスも忘れますよ。
――2020年の東京オリンピックが当面の目標ですが、それ以降の目標はありますか。
野口 私自身、小学6年でフリークライミングに出合って、続けることで成長できたと思っています。楽しいから、好きだからというのはありますが、とても楽しく充実した時間を過ごしていると実感します。フリークライミングを楽しむ人が増えてきているので、その楽しさをもっと伝えられればと考えています。
競技から引退する日はいつか来るでしょうけど、クライミングから引退する日はありませんね。
撮影:清水タケシ
監修:株式会社日経BPコンサルティング
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