2017年3月1日
第4回
落合陽一氏
リアルとバーチャルが混在する
デジタルネイチャーを提唱
この人には様々な肩書がある。筑波大学図書館情報メディア系メディア創造分野助教としてデジタルネイチャー研究室を主宰しながら、実業家としてピクシーダストテクノロジー株式会社代表取締役、ジセカイ株式会社のファウンダーでありシニアリサーチャーとして活躍。そしてメディアアーティストと呼ばれ、“現代の魔術師”の異名も持つ。トレードマークは黒ずくめのファッションとボーラーハット。本人は自分のことについて、「メディアアーティストかな。何をやっているかわからないから」といいながら、普通の人たちには理解することすら難しい哲学を語り、彼の思想から生まれたユニークなインスタレーションで我々を煙に巻く。しかし次第に話に引き込まれていくことも事実なのだ。
8歳の時に買ってもらったパソコン
生まれた時にはすでに家にパソコンがあり、物心ついた頃にはインターネットで遊んでいた。いわゆるデジタルネイティブと呼ばれる世代だ。
1987年生まれの落合氏の場合、「家で最初にパソコンを使ったのは僕」だったという。8歳の時に、世間がWindows95で大騒ぎしていることからパソコンに興味を持ち、「祖父にねだって買ってもらいました。でも両親はパソコンに触れないし、結局僕の高級なオモチャになりました」とか。しかもパソコンを買うと同時に、「自分でコールセンターに電話してプロバイダーに契約を申し込みました」というから恐ろしい。
買ってもらったパソコンでさっそく掲示板を作り、CGIでアクセスカウンターを作ったり。「普通の小学生がやることをやっていただけ」という。
87年生まれという点では、「正確に言えば、デジタルネイティブのちょっと前」と言いつつ、おじいちゃんに買ってもらったパソコンを触りだしてからは、学校にいるときはパソコンルームに出入りし、開成高校に進学後は「しょっちゅう秋葉原に行っていました。ちょうど電気街からオタクカルチャーの聖地に変貌する時代に遭遇しました」。
東大大学院に進み、研究生活をスタートさせた頃、CGアーティストとしても知られる河口洋一郎・東大大学院情報学環教授から「動物の動きでも研究してみたら」とアドバイスを受けた。その時、自身が制作したインスタレーション「ほたるの価値観」で発光ゴキブリに使用したオガサワラゴキブリを飼育していたことから、「ゴキブリの活動を観察しようと段ボールに照明を置いて、ウェブカメラで逐一画像をサーバに送信して蓄積する」装置を作った。その段ボールを何気なく開けてみた隣の研究室の某教授。段ボールの中をうごめく無数のゴキブリに腰を抜かさんばかりに驚いたそうな。「めちゃくちゃ怒られました。だけどあれは面白かった」。でも「なぜゴキブリ?」という問いには「よく見るとホタルとゴキブリって似てるでしょ?」。やはり独特の感性を持っているらしい。
興味を持ったことには手を出さずにはいられない。小学生の時、理科の教科書でダイヤモンドのことを知り、どうしても欲しいと宝石売場で駄々をこねたこともあるという。だから思いついたことは実行してみる。
東大大学院生時代、超音波を使って音をスピーカー本体ではなく空中で発生させるフェーズドアレイスピーカーシステムを考案。ホログラム技術を応用して空中に映像や音響環境を作り出す装置を開発するために、ピクシーダストテクノロジー株式会社を設立した。また、修士時代にもメディアアートやデザインの仕事を通じて、新しいコンピュータと人間の関係を構築し事業化を狙うジセカイ株式会社もスタートさせた。
27歳の時に「アメリカの工科系大学に研究員として行く予定でしたが、筑波大でラボを持てるという話がきて、なにも海外に行かなくても済む」と現在のポジションに収まった。普通なら海外に行って何年か研究生活を送り、箔をつけて日本に凱旋、というパターンを選びそうだが、落合氏は「好きな研究ができる」と米国行きをあっさり捨てた。
「コンピュータに関連する分野を研究したいとはまったく思っていませんでした。でも常にコンピュータはそばにあり、何をするにしてもコンピュータを使ってきました。その点では僕もデジタルネイティブなのかもしれない」と話す。
デジタルネイチャーとは何か
一つの例を挙げよう。落合氏の研究室には数台の3Dプリンターに挟まれて金魚の水槽が置かれている。落合氏が用意したヘッドマウントディスプレー(HMD)をつけてその金魚鉢を見ると、水槽の中にいる金魚が水槽から出てきて部屋の中を泳ぎ回る。
「今は解像度が低いので、データで作ったとわかります。でも解像度がもっと高くなり、HMDに組み込める4Kディスプレーと視野角の広いレンズが開発されれば、もっとリアルな金魚を生み出せます。すると、どれがリアルでどれがバーチャルなのかわからなくなります」。
人間の機能を今より発達させることはできないが、コンピュータの世界、ハードウェアやソフトウェアの領域はさらに発展することは確実であり、「リアルとバーチャルの区別が曖昧になる世界は、あと数年で実現するでしょう」と話す。リアルとバーチャルが混在する世界。しかもリアルとバーチャルの垣根を取り払い、リアルでいてバーチャル、バーチャルでいてリアルという世界。それが「デジタルネイチャー」なのだ。
落合氏の話は続く。「例えばコールセンターに電話するとしましょう。そのとき、対応が悪いオペレーターだった場合と、素早く対応するAIだった場合では、どちらがいいと思いますか」
人間がマニュアルと格闘して解決策を見つけ出すには時間がかかるが、コンピュータであれば格段に速く必要な個所を探し出せるし、音声もほぼリアルに再現できる。そこにAIを組み込めば、ごく自然な応対が可能になる。音声だけの電話なら相手が見えないので、話しているオペレーターが人間なのかコンピュータなのかは本質ではなくなる。オペレーターが素早く解決してくれるのであれば、人間であろうがコンピュータであろうが、どちらでもよいのだ。リアルとバーチャルの垣根がなくなる世界だ。
近い将来、車の自動運転が実用化されるだろう。センサー技術の発達やAIの搭載で、交通事故は格段に減るだろうと落合氏は考える。「リアルにこだわらないことによって交通事故で何千人も死亡する状況が大幅に改善されれば、それは人類にとって幸せなことじゃないですか」。事故が減るのであれば、リアルな人間が運転しなければならない、という前提条件は意味をなさない。コンピュータの技術を使って人を快適に、そして幸せにすること。リアルでいてバーチャル、バーチャルでいてリアル。それがデジタルネイチャーの世界なのかもしれない。
デジタルネイチャーの世界は何年後にくるのだろうか。落合氏の答えは明確だ。「あと15年くらいでしょう」と言い切る。
「今から15年前を思い出してみればわかります。15年前はスマホもなく、インターネットもビジネスや生活にそれほど浸透していませんでした。それが今はここまで進化しています。技術の進化はさらに加速していくでしょう」と予想している。
その15年後に向けて、インフラや社会制度も変わらなければならない。それを考えて提言していくのもデジタルネイチャー研究室のテーマである。
その時、我々人類はどういう存在になるのか。人類はコンピュータを作り出し、それを発展させ利用することで、現在の社会の仕組みを構築してきた。人類がこれ以上発達することがあるのか、それとも「シンギュラリティの時代」が来て、人類がコンピュータをコントロールするのではなく、逆にコンピュータが人間をコントロールするようになるのか。
頭脳労働や事務処理の分野では、AIとコンピュータがあれば、知的労働に従事するホワイトカラーはいずれ駆逐され、人類全体がブルーカラーと化してしまう可能性も考えられる。実際にそのような状況に近いことも起きている。機械が人間にとってかわる世界だ。
「日本人は特に90年代までの成功体験から、機械に対する信仰が強いと思います」と落合氏は話す。「しかし、それは悲観するような未来ではありません。技術の進化によって、社会は必然的にデジタルネイチャーの世界になっていくし、それはより便利で幸せな世界だと考えています」
デジタルネイチャー研究室には、もうひとつの“野望”がある。それは「僕の考えを理解して、共有できる人材を育成すること」だ。現在、研究室には学生と大学院生合わせて30人が在籍する。
「これが50人とか100人とかに増えていけば、ちょっとおもしろいことになるでしょう」
「ちょっとおもしろいこと」とは何か。
落合氏は、すでにデジタルネイチャーのその先を見つけているのかもしれない。
撮影:清水タケシ
監修:株式会社日経BPコンサルティング
記事中の意見・見解はNECフィールディング株式会社のそれとは必ずしも合致するものではありません。