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おとなの歴史再入門

2023年01月25日

北条氏への権力の集中により、鎌倉幕府を安定させた北条義時

第11回
北条氏への権力の集中により、鎌倉幕府を安定させた北条義時

河合 敦=文 Text: Atsushi Kawai
野村 美也子=イラスト Illustration: Miyako Nomura

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は、北条義時である。義時は北条政子、源頼朝、源義経など、誰でも知っている偉人と密接な関わりを持っているが、その性格や人柄などは当時の記録に残っていない。だからこそ、三谷幸喜氏は奇想天外なストーリー展開で、楽しませてくれるだろう。

 伊豆の豪族・時政の次男として生まれた北条義時の人生は、姉の政子が源頼朝と結婚したことで大きく変わる。頼朝は平清盛との戦いに敗れ、少年時代から罪人として伊豆に流されていたが、一一八〇年、平氏打倒の兵を挙げた。北条氏は一族を上げて頼朝に協力、一一八五年、平氏を滅亡させた。以後、頼朝は朝廷とは別の武士政権を鎌倉に樹立した。

 義時は、義理の弟ということもあって頼朝から信頼され、寝室の警備をするなど側近として活躍する。

 一一九九年に頼朝が亡くなると、頼朝の長男で姉の政子が産んだ頼家が十八歳で将軍になる。だが、頼家が勝手な政治をするので、武士(御家人)の多くが反発。そこで北条時政は頼家の力をおさえ、十三人の有力な武士で政治を行うことにした。義時もこの一員に選ばれる。

 これに頼家は怒り、妻の父・比企能員ひき よしかずに北条氏の討伐を命じた。しかし、事前に計画を知った時政は、すばやく能員ら比企氏を滅ぼし、頼家を強引に将軍から引退させた。その後、頼家は伊豆の修禅寺に幽閉され、時政に暗殺された。そして、時政は政子の次男、十二歳の実朝を将軍に据えて幕府の権力を握る。

 ある日、畠山重忠の子・重保と平賀朝雅ともまさが宴会で言い争いになり、対立するようになる。一二〇五年、重忠が幕府に謀反を企んでいるという時政の謀略で、義時に「畠山重忠を討て」と命じた。後妻の牧の方に「畠山一族を滅ぼしてほしい」と頼まれたのだ。朝雅の妻は、牧の方の娘だったので、朝雅が牧の方に依願したのだろう。

 義時は重忠とは友人で、その性格をよく知っていたため反対したが、時政の考えは変わらなかったため、仕方なく義時は畠山一族を滅ぼした。

 そのすぐ後、北条政子が恐ろしい噂を耳にする。「父の時政が、我が子の実朝を殺し、平賀朝雅を将軍にしようとしている」というものだ。驚いた政子はすぐに実朝を義時の家に避難させた。このとき多くの御家人は義時の家に集まり、実朝を守ったことで、時政は力を失い、鎌倉から追放された。

 それからは、義時が幕府の財政を司る政所の別当(長官)になり、将軍実朝を補佐するようになった。とはいえ、実権を完全に握ったわけではない。最大のライバルに、御家人を統括する侍所の別当(長官)和田義盛がいたからだ。

 一二一三年、実朝を将軍の地位から降ろし、補佐役の義時を暗殺しようという企みが明らかになる。計画には百数十人もの武士が関係していたが、和田義盛の息子たちも含まれていた。これに立腹した義時は、義盛が兵を挙げるよう挑発。義盛が挙兵すると、鎌倉市中で和田軍と戦いを繰り広げ、義盛ら和田一族を滅ぼした。以後、義時は侍所の別当を兼ね、将軍に代わって政治を行うようになる。

 一二一九年、成人し、政治力を持つようになっていた実朝が鶴岡八幡宮で前将軍頼家の子・公暁くぎょうに殺害された。父を将軍の地位から引きずり降ろしたのは実朝だと逆恨みしての犯行だった。このとき、実朝の刀を持ち従っていた源仲章なかあきらも一緒に殺されたのだが、事件直前まで刀を持っていたのは義時だった。急に気分が悪くなったと、役目を仲章に代わってもらい自宅に戻ったのだ。義時は計画を知っていたとか、暗殺計画は義時が仕組んだという説がある。公暁がすぐに討たれたので真相はわからないが、政治力を持ちはじめた実朝が邪魔になり、義時が抹殺した可能性は否定できない。

 一二二一年、将軍実朝が亡くなり幕府が弱体化したと考えた後鳥羽上皇は、「北条義時を討て」と命じ、京都で兵を挙げた。

 上皇の命令を知って御家人たちは動揺する。それほど朝廷や上皇の権威は絶大だったのだ。このとき政子が朝廷軍と戦うよう武士たちに説き、感激した御家人たちは団結して朝廷軍を一蹴した。

 この承久の乱後、幕府の力は、西国にまで及ぶようになった。

 それから三年後の六月十三日、義時は六二歳で急死する。脚気かっけを患っていたらしいが、ひどい吐き気と下痢で亡くなったといわれている。後妻の伊賀の方が毒殺したとか、家臣に刺殺されたという説があるが、本当のところはわかっていない。

プロフィール
河合 敦(かわい・あつし)氏

1965年東京都出身。歴史作家・歴史研究家。多摩大学客員教授、早稲田大学講師も務める。テレビ番組『世界一受けたい授業』のスペシャル講師などでも活躍。『変と乱の日本史』『日本史は逆から学べ』(ともに光文社知恵の森文庫)、など著書多数。

【監修:株式会社日経BPコンサルティング】
記事中の意見・見解はNECフィールディング株式会社のそれとは必ずしも合致するものではありません。

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