フィールディングEyeNECフィールディングがお届けする百花繚乱のコラム集

おとなの歴史再入門

2021年12月28日

江戸時代の麻疹と天然痘の流行と種痘を広めた佐賀藩

第10回
民間外交で活躍した渋沢栄一

河合 敦=文 Text: Atsushi Kawai
野村 美也子=イラスト Illustration: Miyako Nomura

 渋沢栄一は、生涯に五百に及ぶ会社の設立や経営に関与し、六百もの社会事業にたずさわった。まさに一実業家の枠組みにおさまり切らない偉大な人物といえる。その活動は外交にまで及び、アメリカとの民間親善外交を推進した。

 最初の渡米は明治三五(一九〇二)年。セオドア・ルーズベルト大統領と会談、大統領が日本の軍隊と美術を褒めると、「日本の商工業についても褒めていただけるよう努力します」と返したという。

 二年後に日露戦争が勃発すると、アメリカ国民は日本の外債を積極的に購入して経済的に支援し、ルーズベルト大統領もロシアとの講和仲介の労をとってくれた。単なる親切心からではなく、戦後、ロシアが南満州の利権を日本へ譲った場合、日本政府はアメリカと共同で満州の鉄道を経営すると約束(桂・ハリマン協定)していたからだった。ところが、土壇場になって日本政府は満州を単独経営すると方針転換し、約束を反故ほごにした。

 この頃、カリフォルニア州などに日本人移民が多数流入していた。日本人は生魚を食するなど白人と生活習慣が異なるうえ、アメリカ社会に交わろうとせず、安い賃金で長時間働くので、白人たちは職を奪われるかもしれないと心配。桂・ハリマン協定の反故を機に、アメリカ国内で排日の機運が高まった。明治三九(一九〇六)年、サンフランシスコ大地震で学校が被災すると、教室が足りないことを理由に日本人学童は公立学校から閉め出され、東洋人学校への転校を余儀なくされた。

 こうした状況を危惧した小村寿太郎外務大臣は、栄一に対し、民間の力で日米関係を改善してほしいと依頼した。

 栄一は快諾して、明治四一(一九〇八)年、東京・大阪・京都・横浜・神戸などの商工会議所の主催というかたちで、アメリカ太平洋沿岸部の実業家たちを日本に招待。紅葉館で歓迎晩餐会を開き、さらに自宅でも彼らをもてなすなどして親善に努めた。

 翌年、その御礼としてアメリカの実業家たちが日本の実業家を招待してくれることになった。このとき六九歳の栄一が渡米実業団の団長となり、五十余名を率いてアメリカに渡ることに決まった。

 出立にあたり、まことに異例ながら、外務大臣や総理大臣だけでなく、明治天皇自ら栄一たちを芝離宮に招いて宴を開いている。栄一は「官職を帯びない民間人が外国に赴くにあたり、空前の名誉だ」と感激しているが、それほど当時の日本政府が渡米実業団に日米関係の改善を期待していたのである。

 かくして栄一たちは、三カ月にわたって六十近い都市を回り、各地で親睦を重ね、日本を理解してもらおうと努めた。タフト大統領とも会談しており、このおり、栄一は実業団を代表して次のような演説をしている。

 「日本がアメリカによって文明社会の仲間入りをして半世紀、両国民の交情は年々強くなり、日本に災害があったとき、アメリカは大いに援助をしてくれました。ですから日本国民は、アメリカに好感情を抱いています。私は何の官職も帯びない、ある意味、日本国民が貴国民に対して派遣した平和の使節です。両国の友誼ゆうぎをさらに強固にするのが日本国民の希望であり、そのためにやって来ました。そして、その気持ちはアメリカ人も同じであることを各地をめぐるうちに確信しました」

 しかし、中国をめぐってアメリカとの関係は悪化の一途をたどった。このままでは、日米戦争もあり得る。栄一は、戦争が国の経済を助けるという考え方を明確に否定し、「平和こそが経済を発展させ人びとを幸せにするのだ」という信念を持っていた。そこで日米同志会、日米協会などをつくって民間の立場からアメリカとの関係改善に尽力し続けたのである。

 その後も関係悪化に歯止めはかからず、大正一三(一九二四)年には排日移民法がアメリカ議会を通過、日本人移民の受け入れは拒絶されることになった。

 昭和二(一九二七)年、親日家の宣教師シドニー・ギューリックが「親善は気長にやらなくてはいけない。まずは両国の子供たちが相知り親しむことが必要だと思う。そこで日本の子供にアメリカの人形を送りたい」と栄一に相談を持ちかけてきた。

 喜んだ栄一は、日本国際児童親善会を創設し、日米間で人形の交換による親睦をはかった。残念ながら十数年後、日米両国は全面戦争に突入してしまうが、栄一の進めた日米親善民間外交は大きな意義があると思う。栄一の平和希求の精神を現代の私たちも見習いたい 。

プロフィール
河合 敦(かわい・あつし)氏

1965年東京都出身。歴史作家・歴史研究家。多摩大学客員教授、早稲田大学講師も務める。テレビ番組『世界一受けたい授業』のスペシャル講師などでも活躍。『変と乱の日本史』『日本史は逆から学べ』(ともに光文社知恵の森文庫)、など著書多数。

【監修:株式会社日経BPコンサルティング】
記事中の意見・見解はNECフィールディング株式会社のそれとは必ずしも合致するものではありません。

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