フィールディングEyeNECフィールディングがお届けする百花繚乱のコラム集

おとなの歴史再入門

2021年03月18日

足利義昭は本能寺の黒幕だったのか?!

第8回
足利義昭は本能寺の黒幕だったのか?!

河合 敦=文 Text: Atsushi Kawai
野村 美也子=イラスト Illustration: Miyako Nomura

 足利義昭は、室町幕府の十二代将軍足利義晴の子として生まれた。一時、兄の将軍義輝を殺したといわれる松永久秀に幽閉されて殺されそうになるが、運良く細川藤孝らに救出され、永禄十一(一五六八)年に織田信長に奉じられて上洛、十五代将軍に就いた。義昭と信長を結びつけたのは明智光秀だといわれるが、確かな史料は存在しない。ただ、光秀が義昭と信長の両方に属していたことは間違いない。

 しかし信長は義昭に実権を与えようとせず、両者の関係は悪化。義昭は将軍の権威を利用して反信長勢力を結集し包囲網をつくりあげた。激怒した信長は元亀げんき 四(一五七三)年三月、軍勢を率いて京都知恩院に着陣。一方、二条城(武家御所)にいた義昭は、信長の家臣で京都奉行の村井貞勝の屋敷を襲撃して気勢を上げた。

 すると信長は二条城近辺を焼き払い、城の周囲に厳重な砦をいくつも構築した。命の危険を感じた義昭は、朝廷を介して信長と講和するが、信長が兵を引くと、山城国槇島まきしま城に拠って再び挙兵した。しかし大軍で攻め立てられ、かなわないとみて二歳の息子を人質に出して降伏、三好義継の河内国若江城へ逃れた。信長は朝廷に改元を求め、元亀四年は天正元年と改まったが、これをもって室町幕府は滅亡したとされてきた。

 だが実際は、それからも義昭は将軍としての活動を続け、京都復帰と政権掌握への意志を強固に持ち続けたのである。

 義昭は、紀伊国の興国寺を拠点としたが、それは同国に雑賀さいか一揆、高野山、根来衆ねごろしゅう粉河寺こかわでら、熊野三山など強力な仏教勢力があり、石山本願寺と結んで信長と戦っていたからだ。以後義昭は、越後の上杉謙信、甲斐の武田勝頼、本願寺顕如けんにょらに織田氏との敵対を促した。政治工作は効果をあげ、信長と講和した顕如は、義昭の要請で再び敵対に転じている。

 京都を追放されてから三年後の天正四(一五七六)年、義昭は備後国ともうらへ拠点を移した。ここは毛利氏の領内である。つまり、毛利輝元が信長との全面対決を覚悟し、その正統性を天下に示すため、信長に追われた将軍義昭を迎え入れたのだ。輝元は配下の諸大名に「今後は義昭の命を受ける」と通達、謙信や勝頼、西国大名らにも書簡で助力を要請した。

 義昭は輝元に副将軍の地位を与え、上杉謙信と武田勝頼を和睦させ、輝元と結んで信長を挟撃することを承諾させた。義昭はまた、信長の重臣・荒木村重を信長から離間させることに成功したという。このように義昭は、将軍の権威を用いて信長に苦痛を与え続けたのである。

 天正十年六月、明智光秀の謀反により信長は本能寺で命を落とした。研究者の藤田達生氏は、その著書『謎とき本能寺の変』(講談社新書)で、本能寺の変の黒幕は義昭だと明言する。これが事実ならば、義昭は恨みを晴らしたことになる。

 大番狂わせは、光秀が中国から引き返してきた秀吉に討たれたことだろう。だが、宣教師ルイス・フロイスは、義昭が「おのれをして、天下の君とならしめんことを羽柴(秀吉)に請うた」(「イエズス会日本年報下」奥野高広著『足利義昭』吉川弘文館所収)という。

 まだ自分が将軍として天下を統べるという野望を捨てていなかったのである。

 もちろん、そんな要求を秀吉が受け入れるはずもない。すると今度は織田家の重臣・柴田勝家に接近。輝元の叔父・吉川元春と連携し「毛利─柴田連合」をつくり、秀吉を挟撃しようと動いたのだ。だが、輝元の叔父・小早川隆景が反対したのでもくろみは崩れ、勝家は賤ヶ岳しずがたけの戦いで秀吉に敗れ、北庄城で自刃した。

 翌年二月、秀吉は義昭の帰洛を許可したが、すでに毛利氏は秀吉に屈し、京都に戻っても政治を執るのは不可能だった。この時期、義昭は秀吉から驚くべき依頼を受ける。「猶子ゆうしにしてほしい」というものだ。秀吉は、将軍家の家督を継いで幕府を開こうと考えたのだが、義昭は申し出を拒絶した。落ちぶれたとはいえ、己の血統は売らない、そんな決然たる態度は見事であろう。

 天正十六年、義昭は朝廷から三后に准ぜられ、秀吉から一万石を与えられた。慶長二(一五九七)年八月二十八日、義昭は体にできた腫れ物が悪化、大坂で死去した。六十一歳であった。軍事力を持たず、将軍という権威のみを駆使して信長という強大な権力を長年苦しめ、天下人を狙い続けた不屈の闘志には、まことに頭の下がる思いがする。

プロフィール
河合 敦(かわい・あつし)氏

1965年東京都出身。歴史作家・歴史研究家。多摩大学客員教授、早稲田大学講師も務める。テレビ番組『世界一受けたい授業』のスペシャル講師などでも活躍。『変と乱の日本史』『日本史は逆から学べ』(ともに光文社知恵の森文庫)、など著書多数。

【監修:株式会社日経BPコンサルティング】
記事中の意見・見解はNECフィールディング株式会社のそれとは必ずしも合致するものではありません。

コラム「フィールディングEye」へ戻る