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おとなの歴史再入門

2019年8月16日

西郷隆盛の愛される理由

第3回
西郷隆盛の愛される理由

河合 敦=文 Text: Atsushi Kawai
野村 美也子=イラスト Illustration: Miyako Nomura

 2018年のNHK大河ドラマ『西郷せごどん』は、明治維新の三傑と呼ばれた西郷隆盛を主人公にした物語である。そこで今回は、大河ドラマにちなんで史実の西郷隆盛について語っていこうと思う。

 西郷は薩摩藩の下級武士の家に生まれ、藩のリーダーとして薩長同盟を結び、倒幕運動をすすめた。1868年1月、新政府軍が鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍を破ると、西郷は逃げた前将軍慶喜を倒すべく新政府軍の参謀として江戸へ向かった。しかしこのとき徳川方の勝海舟の懇願を容れ、江戸総攻撃を中止し慶喜の助命を独断で認めたのである。
 勝は、「いよいよ談判になると、西郷は、おれのいふ事を一々信用してくれ、その間一点の疑念も挟まなかった。『いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引受けします』西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、その生命と財産とを保つことが出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ」(『氷川清話』講談社学術文庫)と、西郷の英断と度量の大きさを絶賛している。

 西郷の面白さは、他人の言葉に耳を傾け、相手が正しいと思った瞬間、自説を潔く撤回することであろう。じつは江戸総攻撃と慶喜の征伐を誰よりも強く主張していたのは西郷自身だったのである。
 三年前にも、西郷と勝との間で同じことが起こっている。大軍で京都へ侵攻(禁門の変)した長州藩は、朝敵として幕府に征伐されることになった。西郷は征討軍の参謀として参加することになっていたが、勝から「幕府はダメだから薩摩が長州と手を結び、朝廷を中心とする共和政治をおこなうべきである。ゆえに長州を徹底的に潰してはならない」と意見された。これに感激した西郷は、長州藩を寛大な条件で許すよう尽力、武力衝突させることなく征討軍を撤退させたのだ。

 西郷が勝に弱いということではない。新政府の木戸孝允と大久保利通は、廃藩置県を断行しようとしていた。そのためには薩摩藩士に絶大な人気のある西郷の協力が不可欠だった。しかしこの時期の西郷は、薩摩藩の改革に力を尽くしており、藩を廃止することに簡単に同意するとは思えなかった。が、同意してもらわねばならない。そこでおそるおそる山県有朋が説得へ出向いたところ、あっさりと廃藩を承諾し、山県を仰天させた。このように、相手が正論だとわかったら自分の意見を捨てるというのが、西郷の度量の大きさであり、偉さだといえる。

 よく知られているように、西郷の体格は立派であった。平均身長が160センチに満たない江戸時代にあって、身長約180センチ、体重が110キロを超える巨漢だったという。その容貌についても、アーネスト・サトウ(幕末に来日したイギリス外交官)が「輝く黒いダイヤモンドのようだった」と述べている。
 ただ、残念ながら西郷の写真は一枚も残っていない。昔、教科書に掲載されていた坊主頭で眉と眼の大きい人物は、西郷の写真ではない。キヨソネという政府の御雇い外国人が描いた肖像画なのだ。しかも西郷を目の前にして写生した絵ではなく、死後に弟の西郷従道と従弟の大山巌の顔を参考に描いた想像画なのだ。いまでいえば合成写真である。

 勝海舟は「西郷といふと、キツさうな貌をして居たやうに書かぬと人が信じないから、あゝ書くがね、ごく優しい顔だつたよ。アハハなどと笑ってネ、温和しい人だつたよ」(『前掲書』)
 優しい顔つきの西郷── ちょっと私たちの印象とそぐわない気がするが、これが事実なのであろう。

 キヨソネ画より有名なのが、上野公園の西郷隆盛像である。犬を連れた和服(狩姿)の西郷像をまず知らない人はいないはず。これは、高村光雲が5年の歳月を費やして完成させた労作である。しかし明治31年の除幕式に参列した西郷隆盛の未亡人糸は、像を目にした瞬間、「夫に似ていない」と漏らしたと伝えられる。いずれにしても西郷の容貌は、いまもって闇の中なのである。
 西郷は廃藩置県後、征韓論に敗れて政府を下野、明治10年(1877)に鹿児島県士族を率いて政府に反乱を起こした(西南戦争)。しかし半年後、鹿児島軍は敗北し、西郷は鹿児島に追いつめられて自刃した。

 このように反乱の首謀者でありながら、なぜか、その後も西郷を敬愛し続ける人は少なくなかった。また「西郷はこの戦争で死なずに海外へ逃亡し、健在である」という生存伝説も根強く存在した。1891年にはロシアの軍艦に西郷が乗っていたという噂が流れ、ある新聞が西郷の生存をめぐって賭けをする騒ぎにまで発展している。このように、その後も国民的な人気を保ち続けてきたのは、やはり西郷の懐の大きさと、伝説となったその愛すべき容貌にあったのかもしれない。

プロフィール
河合 敦(かわい・あつし)氏

1965年東京都出身。歴史作家・歴史研究家。多摩大学客員教授、早稲田大学講師も務める。テレビ番組『世界一受けたい授業』のスペシャル講師などでも活躍。『変と乱の日本史』『日本史は逆から学べ』(ともに光文社知恵の森文庫)、など著書多数。

【監修:株式会社日経BPコンサルティング】
記事中の意見・見解はNECフィールディング株式会社のそれとは必ずしも合致するものではありません。

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